ごあいさつ
笑恵館は【廣本季與丸】記念館
私の父、廣本季與丸は、明治41年(1908年)に愛知県蒲郡市三河三谷で12人兄弟の7男として生まれ、昭和10年代にこの地に住み始めた洋画家でした。36歳で招集されて北支に出征し、そこで終戦を迎え、戦後、母が疎開していた秋田で2年程暮し、昭和22年(1947年)末頃にこの地に戻り、以来、帝展、文展、日展等入選21回。57歳で日展委嘱となり、昭和50年(1975年)に67歳で亡くなるまでここに住んでいました。
笑恵館が出来た8年前は亡くなって39年も経っていましたし、父の記念館として改築した訳でもなかったのですが、元々私の住居と亡き父のアトリエでしたので父の描いた絵を各部屋に飾り、利用下さる方々に見て頂いて来ました。元アトリエだったサロンには100号の大きな絵を飾り、他の部屋にも小さな絵などを飾りましたが、その事を強調する事はしなかったので、絵の好きな方が時折、関心を持って下さる程度でした。
でもこのコロナ禍で、私自身が父の絵と久しぶりにゆっくりと対峙する時を持つことができて、画家としての父の存在を、皆様にもう一度見て頂き、何かを感じて頂けたら。そして作品と出会う事でご自分とも向き合って頂ける場にもなるのではないかと思うに至り「笑恵館」と共に「廣本季與丸記念館」の看板も掲げる事にいたしました。
父の事や、絵などの説明を徐々に加えてご覧頂けたらと思っています。
昭和を生きていた父の絵に残されている、60年前頃の野川辺りの風景や、この辺りが野原だった事など、今となっては歴史的証拠としても貴重なものがあります。また昭和20年~30年代のテレビのない頃には、父は夜な夜なこたつでラジオを聞きながら木彫をしておりました。そんな手作りの額は当時のリンゴ箱を利用して作っていたなど、貧しいながらも豊かな生活があったことを思い出させてくれます。ささやかな暮しの中にも日々を大切に一つ一つに愛をもって過ごしていた、ここ世田谷砧のこんな記録も大事なのではないかと思っています。
今後は絵画を中心としたさまざまな作品だけでな、絵にまつわるエピソードなども徐々に紹介しながら記念館としての内容を充実させて行きたいと思っておりますのでどうぞよろしくお願い致します。
2021年10月
笑恵館オーナー 田名 夢子
略歴
廣本季與丸の生涯とその後
- 1908年(明治41年) 1月1日愛知県蒲郡市三谷町に12人兄弟の7男として生まれる
- 1928年(昭和 3年) 20歳 京都、関西美術学校卒業 帝展に初入選
- 1934年(昭和 9年) 26歳 高知市にて個展開催
- 1935年(昭和10年) 27歳 太平洋画会展にて相馬賞受賞 大阪朝日新聞に「上海絵だより」を送り掲載された
- 1936年(昭和11年) 28歳 文展に廣本三兄弟が入選 新聞に掲載された
- 1941年(昭和16年) 33歳 妻ミサヲと結婚、長男春宋誕生 文展入選「牛の瀧」 豊橋公会堂にて個展開催 出征 北支へ
- 1942年(昭和17年) 34歳 春宋疎開先の秋田で病死
- 1944年(昭和19年) 36歳 11月頃復員し疎開先の秋田へ 文展入選「緑陰」
- 1945年(昭和20年) 37歳 年末にこの地に帰宅
- 1946年(昭和21年) 38歳 長女夢子誕生 以後文展、日展21回入選
- 1947年(昭和22年) 39歳 日展無鑑査となる
- 1948年(昭和23年) 40歳 砧美術役員
- 1965年(昭和40年) 57歳 サン美術研究所指導者
- 1975年(昭和50年) 67歳 永眠
- 1993年(平成 5年) 蒲郡市博物館 廣本三兄弟展開催
- 2002年(平成14年) 柏わたくし美術館にて廣本季與丸展開催
- 2007年(平成19年) 廣本季與丸画集発行(発行者 田名夢子)、廣本季與丸展開催 (4月28日~5月5日 恵比寿カッシーナイクスシーにて)
作品のご案内
各室に展示する作品について
■サロンにある絵
少女と母
100号 1961年(昭和36年) 53歳 日展出品
夢子13歳 母48歳の時 昔のアトリエにて
家族
30号 1942年(昭和17年) 34歳 創元会展出品
モデルは母と16年末に生まれた長男と一時同居していた親族
元は100号でしたが、1990年代に飾っていた所で日に当たり下の方の剥落がひどく、2006年に上部だけを切り取り修復した。
娘
15号 1957年(昭和32年) 49歳 6月17日描くと記載あり
夢子9歳 小学3年生 ひ弱な虚弱児の1,2年生を過ごし、ようやく少し丈夫になってきた頃だが、肌寒い梅雨時だったのか、セーターをはおり、いかにも過保護に思える。
■カフェにある絵
妻
長丸型 板絵 額も手作り 1950年(昭和25年)頃 42歳頃
静物
6号変形 板絵
(皿のりんご・ゼラニウム・花びん)
さくらんぼ
SM(16×23) 板絵
箱入り桃
8号(38,5×45,5)
喜多見辺り
6号 1958年
■廊下・玄関にある絵
牡丹
6号変形(23×38) 紙
アジサイ
8号(39×48) 1975年6月28日 67歳 絶筆
自画像
3号(27×22) 1952年(昭和27年) 44歳
永遠なる生命感を
作 廣本季與丸
これが私の信条です
空を描けば 風を感じ
水を描けば 汲み取れる水を
人を描けば 肉体の暖かさを
仏を描けば 幾年を経た良さとこうごうしさを
石を描けば 其の重量感を
花ならば 其のみずみずしさと香りを
子供を描けば その歌声も
画道に熟練は元より
詩あり文学をともなってこそ
永遠なる生命があり
人々の心に応えるもののある作品を願う
花の葬送曲
作 廣本季與丸
花の美しさ
それはすばらしいものです
花の散り際 又美しいものです
花びらがパラリと散る 散ったうつくしさは
一般の人には 只 枯れて散ってきたならしいと
すぐ捨てるが 之ほど無情さはない
風もなく音もなくはらりと散った
その美しさを 私は常に見ているが
このしゃくやくの花びら 又 バラの花の
美しさこそ こんな美しさを
眺める事の出来る自分を 本当に
良い事だとしみじみ思います
これは私の尊敬するケチ精神の賜物です